その六一〇

 

 




 






 










 

いまはなき そんなの嘘だね 歌が降る空

映画を見ていたら、知らない人なのにあの人のあの
行動はとてもあの人らしくって。
そんな印象を受けることがある。

演劇のプロではないので、うまく言えないけれど。
ひとりの人間としてのある1日を切り取ったとして。

どの行動も、あの人ってそういう1日を送っている人だよ
たしかに、と納得してしまう。

あれって、
たぶん役者さんが台本を読みながらそう考えて自由に演じて
それオッケーですと監督さんに了承を得ていたと勝手に
思っていたけれど。

いつだったか、映画「ボヘミアン・ラプソディーの裏側」って
いうドキュメンタリーを見ていた。

その時、ハリウッド映画では当たり前のメソッドかもしれない
けれど。

「ムーブメント・コーチ」と呼ばれる役割を生業としている人が
いることを始めて知った。

難しいことはわからないけれど。
「動作抽出」の理論と字幕で訳されていて。
その方の話を聞いていると、動作ってその人が歩んできた道が反映
されるらしい。

フレディ・マーキュリーを演じるラミ・マレックがステージの上で、
自分なりに動こうとしたときに、そのコーチの人がやってきて、
演技というよりは、動きにチェックを入れていた。

そして、チェックを入れた後修正した動きを彼がすると。
なんていうかあのマッチョさとうのかよりフレディ・マーキュリー
に近づいたような気がした。

歩く、座る、物を見る、遠くを見る、スマホを眺める。
マスクを外すその外し方など。

どれも、みんなと同じ動作をしているようでみんな違う。
この違うっていうところを確認できるだけでも、今わたしは
呼吸がしやすくなるような気がする。

演じるって、ひとりの人生をどこかで背負うってことなんだ
なって、その重みを味わおうとしてみる。

重みって、対岸に居るわたしには到底届かない触れられない
おもさであることだけはわかった。

そうやって、知らず知らずのうちに身に着けて来た、その人
なりの来し方のようなものに思いを馳せたくなった。

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