その六一三

 

 






 




















 

そばにいる そばにいない日 きみを感じる

本気であることが本気だというスタンスもみせないままに
情熱をもって、たんたんと愛にあふれて伝えている人の
文章に出会った。

そして、うろたえた。

たぶん、それは誰かを愛するとか何かに対しての熱量とか
そういうことから遠くにいたいと思っていた過去。

何かを感じて、心が動くこと。

それが生半可な動きではなくて、ゆさぶられることを避けて
生きて来たところがある。

いわゆる泣ける映画、泣ける本とかじゃなくて。

何を聞いても何を見ても、その人の事を思ってしまうような
若い時のようなあの恋に似たものじゃなくて。

心の底からその人の幸せを願うような切ない想い。
そんな気持ちに11月は駆られてばかりいる。

琴線に触れる。
ってよく聞くし、たぶん書いたこともあったし。
誰かと喋っていて口にしたかもしれない。

でも、琴線の線が身体のどこらへんにあるかを知ったような
気がして。

胸の痛みって、懐かしいのか初めてなのかさえわからない
ぐらいだけど。

そして。
この間、この映画は見たいって思う映画に出会いました。

韓国が舞台になった『詩人の恋』。
映画評を読んでいたら、
<今のメロドラマはそれほど男の愛が必要でないのかもしれない>

その一行に惹かれるものもあって。
<今の韓国を生き生きと描いた作品>とも添えられて
そこに続く最後の一行は、
<これは、本気なんだと思えた>

誰かの本気という思いに揺さぶられてるわたしは、この1本を
是非観たいと思っている。

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