その六一四

 

 





 






 













 

ひっそりと あなたがいて わたしもいたよ

去年の日記帳をめくりながら、目に留まった12月のページ。
バッハの無伴奏チェロ組曲に寄せた、ヨーヨーマの言葉が
青いペンの字で綴られていた。

<今、世界で多くのものが崩壊しているのは、みなが「勝つ」
為に行動しているから。信頼と理解がなければ、前には進まない。
音楽は最も人間性に貢献できるのだと思う>

確かに去年、心に沁みた言葉だった。
でも、躊躇するものがあってここの日記には書けなかった。

分断という言葉を嫌というほど聞いていたし、12月という
季節柄のせいか心が疲れていたので、ピックアップしなかった。

ヨーヨーマが、バッハのことも語っていて。

宇宙とは人間とは何かをバッハは理解しようとしていた、と。
自分を宇宙の中心に置くベートーヴェンやワーグナーとは違い
宇宙を脇から見ながら作曲していた。

そう記されている日記の文字を眺めつつ。

その頃は今世界に猛威を振るってるあの病の前の言葉である
ことに驚かされる。

すべてが順序だって出来事が起きることはないけれど。
この終わらない戦いそれは、人の心でもあるし肉体のことでも
あるし、それらふたつでひとつのものだから、心も肉体も
日々少しずつわからないぐらいに傷ついていることを想像
してしまう。

こういう時は音楽に身を任せてひとたび頭の中を風通し
よくしたいと思う。
誰かと比べられたりはもう嫌だと思いながら暮らしてきて
それを自らいざなわれようとしているのも自分だと気づいた
のが、今年の6月ごろだった。

違うコミュニティに思い切って足を踏み入れてみたら
そこに居る人達はわたしがかつて小さかった頃わたしを
受け入れてくれていた小学校6年生の友人たちに似ていた。

そこも、ある意味競争の場ではあるけれど。
でも、一人で走ってるんじゃないって気持ちに駆られる
ことがしばしばある。ひとりだけどみんなで伴走している
そんな感じの日々を暮らして5ヶ月になる。

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