その六二三

 

 






 







 








 

てのひらを ひらひらさせて こころがゆれる

なにかをあまり感じすぎない受け止めすぎない
ことも大切だよってそういうアドバイスを
この間受けた。

すこし日常の環境が変わって。

多彩な方々と交流するなかで、感情が動きすぎて
ゆさぶられすぎることが多かった先月あたり、
そういう言葉をもらった。

確かにそういうところある。

感情ってなにかに感動したり怒ったりしない限り
どう動いているのか俯瞰するのはむずかしい。

たえず、感情をコントロールできるひともいるんだ
ろうけれど。

わたしはそういうことがたぶん下手なタイプだと
思う。

いつも愛読している新聞のコラムで、面白い言葉に
であった。

「幼い頃から、怒りや悔しさが兆すとどういうわけか
心より先にまずてのひらの芯が痛んだ」

歌人の方の言葉だった。

てのひらって平仮名に開いていながらも、その芯が
痛むっていう表現が、とても興味深くて。

まるでこころがてのひらにあるような感じがする。
そして歌を詠うということについて

「自らの手を燃やすような静けさの行為」と
仰っている。

この言葉を読みながら心が動くってなんだろう
って思った。

先にこころじゃないんだなって。

どこか体のどこかが「疼きや震えや揺らぎが」
生まれてから心にたどり着くものなのかと。

こういうふうに自分の身体でおこっている
現象をことばで分析できること。

それを見つめ続けることが歌を詠むであるし
書くということなんだなって教わった気が
した。





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