その六二六

 

 






 







 






 

こころのしっぽ ふってみました うずくまる夜

今どこかを歩くという行為でさえなにか
とくべつな色を持ってしまうようなところが
あるので。

なにも考えずにただ歩いてみたいっていう
願望がどこかにある。

目的を持たないで歩くことの自由さや、ぜいたくさを
肌で足で心で感じたい。

たいてい何かに急かされているし、相手が急かして
いるわけじゃなくても、先回りして待たせないように
してしまうから、なかなか心の隅から隅まで
ゆったりとはできない。

ゆったりとしたいって想うことさえ今はちょっと
罪深いような。

だからせめても出会ったことばには伸びやかな風が
ふいているようなものに出会いたいなって思って
いた。

オーストリアの作家、シュテファン・ツヴァイクの
言葉。

<あるいは進みあるいは退き、自分の意のままに
光と影を分けることは、すばらしかった>

「作家は色々な国に招かれると学生じだいにもどった
かのように街をうろつく」のだと筆者の言葉で
書かれていた。

彼は、街を一人歩いているそんな時間は「自ら動き回って、
光と影の稜線をその眼で確かめる時間でもあったと
綴っているらしい。

もういちど最初の言葉に戻ってみる。

<あるいは進みあるいは退き、自分の意のままに光と
影を分けることは、すばらしかった>

なにがじぶんにとっての光で影なのか。それをまっすぐ
見極められる人こそ幸せではないのか。

筆者の想いの言葉に助けられながらこの言葉の持つ散歩
しているような自由さをひとり味わっていた。





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