その六二九

 

 





 





 







 

今思う その時だけが ひとつになって

時間がないとかって言わないように
しようって思いつつも。
時間に追われている。

いま現代を生きる人達は可処分時間が
どんどん減ってきているって聞いたことが
あるけれど。

ここ最近昔やっていた仕事をある場所で
再会したとたんに、ほとんど時間が
なくなってしまって。

あちこちに不義理ばかりしている。

このうたたね日記もかなり更新が遅く
なってしまって、もし楽しみにしている
方がいらっしゃったらほんとうにすみません。

母はいつも新聞だけはかなり丁寧に読む人で。

時折母が読んだ後の新聞を夜になって開くと。

記事にえんぴつで〇を囲んだりしてある。

この間はふたりが好きな、須賀敦子さんの
エッセイの引用部分に〇がつけられていた。

列車は、ひとつひとつの駅でひろわれるのを
待っている「時間」を、いわば集金人のように
ひとつひとつ集めながら走っているのだ。

その文章の後には、須賀さんがよく乗っていた
らしい鈍行のエピソードが書かれている。
母もよくそれに乗って鹿児島に帰ったり東京の
アパートに帰ったりしていたらしい。

須賀さんはあと何時間したら到着するのだろう
と思いながらも、

ある無人駅で目を覚ました途端に、
<滝の落ちる音>を聴いて、引用した言葉を
着想したらしい。

時間は過ぎゆくものではなく、拾い集められる
ことで、一つの流れになるのだと

こんなに切羽詰まった、笑ってしまうほど余裕の
ない日々にあっても、須賀さんの言葉に触れると
違う時間の流れを感じることができる。

こんな時間も含めてわたしたちは時をひろい
あつめているのかもしれないと想いをはせて。

 





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