その六三九

 

 






 







 
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あとがきを あなたがくれたも 今日もここに

わたしの部屋の本棚のすみっこにむかしよく
読んでいた江國香織さんの「ホリーガーデン」が
少し表紙がよれてそこにあった。

登場人物には果歩ちゃんと静枝という同じ女子高に
通うふたりが登場する。

わたしも女子校に通っていたので親近感が湧いた。

眼鏡やの店員の果歩ちゃんは、
「眼鏡屋の店員だから眼鏡をかけた方がいいと思って」
かけているだけというそんなキャラ。

わたしは女子校で今も仲のいい誰かはいないけど。
この果歩ちゃん似ている人をすごく知っている気が
する。

そして努力の甲斐あって美術教師の夢を叶えた静枝。

静枝みたいな人もすごく近くにいる気がする。

ふたりは互いの傷口の場所をしっている。
だからといって傷のなめ合いをしているわけではない。
過去や現在の恋愛がからみながらもふたりにはたえず
アンバランスな緊張感がはしるように物語はすすんで
ゆく。

わたしは物語も、もちろん大好きだけどあとがきも
かなり好きだ。

<なぜだか昔から、余分なものが好きです>。

そんなはじまり。
<それはたとえば誰かのことを知りたいと思ったら、その人の
名前とか年齢とか職業とかではなく、その人が朝なにを食べるの
か、とか、どこの歯みがきを使っているのか、とか、子供のころ
理科と社会どっちが得意だったのか、とか、喫茶店で紅茶を注文
することとコーヒーを注文することとどちらが多いのか、とか、
そんなことにばかり興味を持ってしまうということです>

どれだけ頷いていただろう。

<余分なこと、無駄なこと、役に立たないこと。そういうもの
ばかりでできている小説が書きたかった。余分な時間ほど美しい
時間はないと思っています>

このあとがきふくめてこの1冊が好きなのだと今頃気づく。

相手の本質じゃないところ、そんな余分なこと
余計なことばかりが知りたいと思うし、じぶんも
余分な時間ばかりをかけて生きて来た気がする。

すごく焦るとチノパンの膝辺りをやけに擦るとか。
言い訳する時、ティッシュをわけもなくむだに引き出す
とか。もろもろ思いだした。

意味のあることはほとんど成し遂げていない。
じぶんのスペックの少なさにも気づいている。
経験値が年の割には低いんだろう。
それを後悔しているのではなくて、それぐらいが
ちょうどいいって、じぶんとしての座りがいいねって
思っている所がある。

はじめてこのあとがきに出会った時はまだ若かった
あの頃もうれしかったけど今もなおさら、ふらっと
このページに長居したくなる。

あとがきが好きな小説は、やっぱりとても好きな
小説の証のような気がして。





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