その六四六

 

 






 






 





 

千年の 祈りを掬う てのひらのなか

さっき、立ったままパソコンの前にいたら
ゆれた。
かなりつよく揺れていた。

こんなふうに思いがけない夜がきて。夜の樹々は
眠るように、息を潜めて。

紙のノートをめくる。
今日のだれかやじぶんにおこった
出来事のかけらが、そこに記されている

しろい表紙の日記帳。
1月2月のあたりは、文字がしっかりたって
いるのに、夏のはじまりごろになると
とたんにくうはくだけが目立つ。
ことばがとぎれる。

すきまをうめることばがみつから
なかったのかもしれない。

そこはやみなのか昼間なのかよく
わからないけれど、あらゆる感情を
たちあげてゆくすべがなかった
のかもしれない。
<ちきゅうのうえに仮住まいしていたことにきづいたんです>
<でも、仮住まいは仮住まいの作法があるんですよね>
テレビから聞こえてくる言葉をかきとめながら、

すこしだれかの生身のことばに甘えて。
誰かの季節はめぐる。

めぐりながらゆびがとまるページ。
<1時間幸せになりたかったら 酒をのみなさい。
3日間幸せになりたかったら 結婚しなさい
8日間幸せになりたかったら 豚をころしてたべなさい
永遠にしあわせになりたかったら 釣りをしなさい。>
開高健さんが20年ほど前のインタビューで

ほがらかに語っていらっしゃったことば。
中国のことわざらしい。

そこに描かれている刻まれている時間は、遠く遠くの
沖にしかながれていない時のようなのに、焦がれるように
こころに止まってしまったから書き留めていたのかも
しれない。

それからそれからまた夜が来て。
すっぽりとやみのなか。

今日も明日もどこかにしずかにたどり
つくことをゆめみて。

どうぞみなさまご無事でいらっしゃい
ますように。

 



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