その六四九

 

 




 








 





 

体温を 信じていいの つぶやいてみる

むかし、わたしの体温はかなり低かった。
小学生の時もそうだった。
家であらかじめはかってきた体温が学校では
受理されず、学校でもう一度測り直している
あいだに、みんなから遅れをとってしまう
という始末。

平熱が低いことと、性格が地味なことって比例
するのかわからないけれど。
みんなが必死な時にもいつも涼しい顔をしてる
からって何度も同級生には言われていた。

汗かいたところみせてよねってことだったん
だろう。
授業に参加しましょうっていう通知表の先生
からのメッセージ。
ふと、文章にもそういうところがあるんだなって
思った。

きっかけは大好きな作家の大竹昭子さんの
レビューの言葉に「平熱」という2文字を
見た時に、ぶるっと気持ちが揺れた。
「平熱」って好きだと思った。

そしてふと、いろいろな書き手の人を
浮かべながら彼らの「熱」ってどんな感じ
だろうって想いを馳せてみた。
「平熱」で物を書く人。
「微熱」ゆえの言葉を置いてゆく人。
「高熱」でその熱風であたりを巻き込みながら
なにかへの偏愛を語る人。
わたしが憧れるのは淡々としているのに
その輪郭はくっきりとしている
「平熱」だけど。
じぶんが書いていて楽しくなる時、
あの人が好きですというようなことを
書いている時のわたしの「熱」は
たぶんだけど、「微熱」ぐらいなんだろう。

「微熱」って少しテンションがあがるから
嫌いじゃない。
20代の時はしょっちゅう微熱を出して
仕事していた。

微熱が平熱みたいなところもあって。
この微熱込みでじぶんだなって感じる
ことも多かった。

一方「高熱」で物を書いたのはたぶん
父親に抗議の手紙を書いた時だけ
だろうと思う。

 

今日はきわめて「平熱」の文章だと思う。
書く前って、ちょっと熱を出してるぐらいが
書きたくなるものなのかもしれない。

 



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