その六五八

 

 







 





 






 

さみしいを わすれるために 街を歩いて

つい最近のことでした。

デパ地下のエスカレーターの側のベンチの
置いてあるところで、ひとりのふくよかな

おばさま(ごめんなさい)が、
オレンジのフレッシュジュースを一気に飲んで
飲み終えた後、ふと息をもらすようになにか
言いました。

なにか聞こえた言葉は、わたしの耳で確かに
キャッチしたのですが、それが聞こえたままの
言葉なら、ちょっと困ったな、黄昏てしまい
たくなるようなそんな4文字の言葉でした。

そのおばさまの声がさみしい って
言ったのを聞いてしまいました。

ジュースを飲み終えて、美味しいじゃなくて、
さみしいって。

その時その場所でわたしは
ふいにじぶんの耳を疑っていました。
やっぱりたぶんおいしい!の空耳かも
しれないと思い直したくなりました。

喉の乾きを潤したあとのさみしいは、
ちょっとだしぬけすぎて、いつまでもその
言葉のトーンが耳の中に残ったままで。
そしてそのおばさまと、デリカショップでも
一緒になったんです。

さみしいっていったおばさまが、一人暮らし
だから、あんまり食べられないのよって
店員の方にお話していました。

わたしは、彼女がどんなサラダを注文される
のかまだわからなかったんですが。
店員の方に、「さびしくならないサラダ」を
お願いしますと、心の中でオーダーして
その場所をあとにしました。

そういうことを言ってほしいわけでもない
けれど、ふしぎな気持ちになって。

デパ地下は、雑踏で感じるあの孤独に
似てるんだなって思いました。

今夜を明日を生き延びるためのライフライン
としてのデパ地下。

わたしはこの場所が、昔から好きだったこと
を思い出していた。



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