その六五九

 

 






 







 






 

ちいさくて きみはいつだって あたたかすぎて

不思議なもので、言葉に落ち込んだ時は
また、言葉を探しにいってしまいたく
なる。

時々、言葉は道具だからと半分うそぶいて
しまいたくなるけれど。

言葉は日常のコミュニケーションのためにも
あるし。
作家のような「世界」を際立たせるために
格闘している人のことばもあると思う。

言葉って、単なる道具じゃないやり方として
贈り物って考えも一方である。

言葉をかけられて、すごくやる気がでたり
うれしくなるのも、こころにちくっと
刺さるのも、それは生身のひとが
発してる生身のことばだからかも
しれない。

いつだったか、甥っ子がまだ
小さかった頃。

夕方にちいさなボールで庭で遊んで
いて、それを片付けないまま、
そのボールがなくなったって大騒ぎ
して泣いていたことがあった。

その夜はとても寒くて、雪が
降っていた。

あ、埋もれているんだなって思って
わたしが庭に珍しくふりつもった
雪のなかからそのぷかぷかの緑色の
ボールをみつけてあげたことがあった。

甥っ子は手袋をしたままそこにいて。
ボールをわたしてあげると

「ありがとう、あるよ」っておもしろい
使い方でありがとうを伝えてくれた。

それおかしいよって、言いたくなくて
そうだね、「ありがとう、あるね」って
答えてあげたら、笑っていた。

ボールがみつかったことがうれしかった
のか、言葉が変だって気づいたのか
どっちかわからないけど、笑っていた。

あの時甥っ子の
「ありがとう、あるよ」が
ちょっとうれしくて。

甥っ子は、まだちいさいのにわたしに
言葉を贈ってくれたような気持ちになった。



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