その十八







 







 







 

ちいさな頃いちどだけ迷子になったことがある。
あとにもさきにもいちどだけ。
それもいつもの友だちからの帰り道だったのにとつぜん
わたしにとってまあたらしい街に迷いこんだみたいな
面持ちで目のまえに飛び込んできたので
おろおろしてしまった。

おまけに男子と喧嘩して負けてないはずなのに
なぜか負けた空気がわたしのなかにいっぱいで
泣いたらあかんと思いつつ、のどの奥でしおからい
涙がこみあげてきて、しくしくしながら道を歩いていたので
なおさら、じぶんの足がおぼつかなくなって
ちいさな迷子になっていったのだ。

いつかおばーちゃんに聞かされていたことば。
『おーまがときにまでは帰ってきなさい!』
おーまがときって?
と尋ね忘れていたわたしはこれがもしかしたらそんな時間なのかも
しれないと思いつつ、空を見上げていた。

夕刻の空のいろから、どんどん青が逃げてゆく。
あやういぎりぎりのところまで濃くなってゆく。
こんな時間には、ひとはひとしれずどこかに連れ去られてしまうんだよ。
と、ざらざらした声でおばーちゃんは教えてくれた。
こわくなって、わたしはひとりでわけのわからない
勇気の出る歌をひとりでたらめに節をつけて帰り道を急いだ。

<逢魔が刻>と耳にしたりするだけで、そわそわしてしまうのは
わたしがもうこどもでなくなってしまった証拠だ。
危険をそれなりに回避する術を学んでしまったし
夜のそんな時間にわけもなく誘拐でないかぎりどこにもいなくなって
しまうなんてことはないことを知っている。
おとなはいろんなものをなくしてしまって
日常をつまんなくしている。
だから今こそわたしはほんとうのこどももしらない
<逢魔が刻>を過ごしてみたいと思う。

こどもにはもったいないから教えてあげない。
そんなおいしい時間。
おとなになって誰かにさらわれてみたいなんて思うのは
きっと誰かのことをやばいくらい好きになっている時だ。
だれにも経験があることだと思うけれど
人をすきになるということは
人のこころは惜しみなくだらしなくなることで。
そんなるなてぃっくな感情をいちどでも誰かに抱けるひとは
あたらしいチョコレートのひとくちめのように
どるちぇびーたであるに違いない。

       
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