その二四





 






 







 

くしゃくしゃの 片道切符を 泳がせて


いまだに、自転車ののりはじめがこわい。
いやほんとうはあんなに好きな乗り物はないといって
いいくらいなのに、かなりこわくって仕方がない。
おそるおそる、サドルに腰掛けてペダルに足を軽く
置いてしまうまでがほんとうに、儀式のように緊張する。
舌足らずな道の転がし方をしたいわけではないのに
まるで酔っぱらったおじさんのようにしか、車輪をあやつれない。
そういうときのわたしと自転車はよそよそしい。
触れられるぐらい近くにいるのに途方もない距離を感じてしまう
ひととひとのようだ。

でもこれがどんな風の吹き回しなのかいつも見極められないけれど
ひょいと、車輪の上でじぶんが軽くなる瞬間があって。
気がつくとアスファルトの凸凹も気にならないくらい、わたしと自転車が
ひとつになって、距離感がちぢまってしまっている。
こんなときのわたしはあんなにこわがっていたのも嘘のように
この世でこんなに好きなわたしのいいなりになってくれる
乗り物はないなぁと、嬉しくなる。
嬉しくなると途端わたしは真下の出来事に疎くなり
おそばやさんがこれから打ち水しようかと準備し始めた
水道のホースをふんづけては毎回怒られてしまうのだけれど、
不思議とそんなことは気にならない。
こころはひとつだからへっちゃらなのだ。

わたしは、妙なことにあの植物の二人静を想像してみる。
なんかすっごくだしぬけにふたりのような気がする。
だからちょっとぐらい水をさされたって平気なのだ。
<こわいのにやがてたまらなくすきになる>。
こんな感情はもうたちの悪い薬のように、あらゆる場所にとても効く。
こっぴどく叱られた父の説教の後に手渡されたちっちゃなお菓子みたいに。
でもこれはいつまでも永遠にって訳にはいかないのが素敵なところで。
わたしと自転車はサドルにのっかってる間だけの一話完結の
期間限定付きの蜜月なのだ。
だからわたしがサドルから降りてしまうと、とたんに無機質な
つめたい乗り物に姿を変えている。
そしてしばらくすると、わたしはまた御機嫌を伺いながらこわごわにペダルを踏む。
<すきだけどこわい>があふれるように
わたしを纏う思いが車輪のようによちよちと転がってゆく。

       
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