その二五






 







 








 

憶えてる? 見知らぬ国に 似ている名前

ぼんやりと絵を見ていたら、ひとりのやさしそうな解説者が
ここに描かれたうずまきはおんなで。
しかくはおとこなんですね。
と、一枚の絵のまえにいる視聴者に入り口の扉を軽く開けておいて
くれるような、道しるべになってくれた。
そういわれれば、そう見えなくもないと納得しつつ。
わたしはもっと反対のことを思い出していた。

わたしよりもずっとずっと年上の彼女が
ずいぶん昔に、美術学校に通っていたころ出された課題のことだ。

<一枚の大きな紙に、図形でも線でもなんでもいいですから
描いてみてください。ただしそこに描かれているかたちは
なにも想像しないものでなければいけません。
それをみてなにも想像し得ないもの・・・>

こんな課題に彼女は半ば腹立てながら取り組んだんだよと話してくれた事があった。
すっごいねじれてしまいそうなほどいじわるな質問だけれど、
けっこうわたしはその手の答のすぐでなさそうな問いが大好きな質で、
気がついたらはてしなく考えてしまいたくなっていることがある。
でも、こういう質問のなりたちを思うと、ほんとうにこの世の中には
すべてがなにかを想像してしまうものだらけなことに
いやというほど気づいてしまう。

いちにちのなかでただ突っ立ってしまってるこころのときだって
ひとはなにかを想像している。
目に映るものうつろいゆくもの、色も匂いも過去も未来もぜんぶすべて。
なにかはぜったいなにかに似ているし。
なにかはぜったいなにかのようだと思わせる仕掛けがこの世には
あふれているのかもしれない。
どーでもいいことだけれどそのセンセーも、
もしかしたらそんな気分だったのかもしれないなぁと。
で、彼女にわたしは聞いてみた。
『それで、どんな答ををそのまっしろい紙に描いたの?』と・・・。
でも彼女はいつも『想い出せないのよねえ』と笑うのだ。

もしかしたら彼女は『なにも想い出せない程のケッサクを
描いてしまったのかもしれない』とわたしはその笑い声を聞くたびに思う。
みたいようなみたくないような不条理のかたち。
でも彼女の描いた答をしらないことがわたしにとっては幸福だ。
誰もいない荒野にでっかい問いだけがぽつんとたちすくんでるなんて
なんかすっごい素敵だと思う。

       
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