その二六





 








 







 

チカチカと こんぺいとうが にじんでとけて

わたしはとある日、すこし遠い街にある図書館にでかけた。
すこしばかり年上の先生のようなひととふたりで。
向かいあわせに座ると彼は本をひらいて、ノートになにかを記してゆく。
そのひとはそうすることにすべてをかけるように何時間でもそこにいる。
もう、わたしがそこにいることもすっかり忘れてしまったみたいに
いつまでも、じぶんの世界に没頭する。

わたしはそんな向かい側にすわっている年上の先生のような
おとうさんのようなひとをいつまでも見ていた。
手許にある資料に注がれた視線に険しさがのぞきはじめると
それはその先生がとてつもなく集中しはじめている時だ。
人はなにかに我を忘れはじめるとそのまわりを包む空気がぽわんと熱くなる。
それは比喩でもなんでもなくって向かい側にいる彼をつつむ空気には
特別の体温がそのまま薄い膜で包まれているようだった。
ちょうど、机の上で懸命になにかしていると、猫がちょいとごめんよってな感じで、
懐いてくるときのあれと同じような感じを彼は漂わせていた。

あんまりぶしつけに見ていたら突然わたしの耳に
すこしざらざらした心地いい声で、『ちゃんと勉強しなさい』と聞こえてきた。
ぜんぶぜんぶみていないはずなのにお見通しだったのだ。
だからわたしもしぶしぶ、鉛筆をもってとにかく勉強しているふりぐらいは
してみようと試みた。
そのとき気がついた。わたしはちょうど右手の指を深く傷つけていたので
左手でしか鉛筆をもつことができなかった。
左手で書く字はもう、コントロールのきかないテグスのようだった。
ふと先生をみた。
向かいにいる彼はかわらずわたしに目もくれない先生だったけれど
向かいあわせの右利きの先生とにわか左利きのわたしは
まるで鏡をみているみたいにそこにいた。
先生のなかにわたしが映ってるなんてことは逆立ちしてもありえないのに
わたしは先生のなかにもわたしがいるようなぜいたくな錯覚を感じたことが
うれしくて仕方がなかった。
帰り道にどんな方法で家に辿り着けばいいのか忘れてしまいたいぐらい、
螺旋のようにうれしかった。

       
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