その五十一






 






 





 

尾が生えて いつかどこかの 夜にまぎれて   

手に抱えられないことを信じるのは
むつかしいとしても
たとえば、窓ガラスに差し込む
雨の後の不思議な夕焼けの色なら
なんとなく信じられる感じがする。

花瓶の中の花びらが次第に朽ちてゆく薄茶色の
萎びた葉先のそんな時間が降り積もった証拠とか
じぶんを取り巻く自然の出来事は
ぜんぶ、ごまかしがないことに気づいて、
わたしは少しだけ立ち止まる。

信じるものの数は日常のあらゆる場所に
こんなにもたくさんあふれていることに。

たぶん、なにかをもしくは誰かを信じるということは
まぎれも無く、わたしがそうしたいからそうする
というものに近いのかもしれない。
求めるのでは無く信じたいから信じる。
それ以上でも以下でもなく。

そしていつしかそんな言葉の意味さえも
ぜんぶ忘れてゆくことができたなら
それこそがとてもしぜんなことだなぁと思う。

たまたまめくったモノクロページでみつけた
向日葵の柄が描かれた白い土瓶。
おまけにそれは机の上でばったりと倒れていた。
山崎方代が大好きなお酒を呑む時に愛用していた品らしい。
その写真の曇りのなさみたいなものに惹かれていたら
そんな<信じる>ことの欠片を見つけた思いに駆られてしまい
暫くの間、わたしは不思議に引き止められていた。

       
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