その五十二




 






 





 

まっしろい トルソに凭れ 眠りにおちて    

いつか待ち合わせをしていたとき
その人は、ひとりで本を読んで待っていた。

文庫本を持って、大きな丸い柱に腰を預けるようにして
その本の活字を懸命に追っていた。

タクシー乗り場も近くて、待ち合わせの定番のような
場所だったのでとても騒がしかったのだけれど
その人の佇んでいるところだけが、ぽっかりと静かだった。

私は声を掛けるタイミングがわからないから
少しの間だけ歩みをゆっくりにして側まで行くのを
遅らせてみた。

彼の視線と本の間にあったのは何センチぐらいだったろう。
ちょっと大袈裟に言うならそこにはれっきとした
ひとつに繋がれた世界が存在していた。
彼の物語の世界をぶしつけに破ってしまう勇気がなくって
私はそのままでいた。

読書する人のまわりは不思議な熱に
囲まれている気がする。
でもその熱にうっかり触れてしまったら、
とてつもなく寂しい思いに駆られてしまう。
活字と視線の間にはたいてい専用のカギが架かっているから
必ずおいてきぼりの目に会うのだ。

呆然としながら後からやってきた私が
その世界の隙間へと踏み込めないことに
痛いほど気づく。
それは誰かの眼が見ている景色が肉眼を持って
じぶんで再現できないことをありのままに
知らせてくれている時なのだ。

あたりまえの事なのにそんなにどこまでいっても
交わらないひとつの世界を感じている時。
私はせつないけれど、不安から遠ざけてくれる
矛盾の中に潜んでいるしあわせみたいなものを
いつも感じてしまう。

ひとつになれないこと。
すなわち
ひとりとひとりであること。
それは、まだ求めるものがそこにあるという
微かな証しが残されていることをじぶんの眼が
見てしまっているせいなのかもしれない。

       
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