その五十三






 






 








 

むきだしの こころの中に 満ちてゆく人

形にならない形というものが
世の中にたくさんあるとしたら
わたしはそんなものばかりと
ずっとつき合ってきたような気がする。

形にならない形を伝えなければならない時。
それを説明する人の懸命さに惹かれて
人は人のことをいいなぁと
思ったりするのかもしれない。

逆にわたしが甘いと感じた甘さを
こんなに甘かった、と聞いてもらわなければ
いけない時、そのあやふやな輪郭を
わたしの知り得る限りのことばで
綴ったり、声にしたりする。
もうひとつ届いていないなと感じた時は
言葉でわからなければ
いっそ同じキャンディをあげたらいい。

もうこの世の中からいなくなってしまった人の
好きな歌がある。
海をいちども見たことのない少女に
<麦藁帽のわれ>は海の広さを教えてあげようとする。
こんなにでっかいんだよと両手を広げながら。
この歌に出会う度、とてつもない海の大きさや
広さを感じて欲しくて
痛くなるほどふたつの腕を伸ばしている
<麦藁帽のわれ>をわたしは感じる。
そして、だしぬけに少しだけ歌の中の少女に
なってあげたくなる。

そんな束の間、そうそう少女のままでもいられないと悟ると
わたしはあの歌のなかの<麦藁帽のわれ>にも
なってみようと試みる。
伝えたい思いが生まれると人は
あらゆる限りの智恵をしぼって<麦藁帽のわれ>になる。
もう、なるしかないという必然の思いが形になって
誰かに届けられるのだ。
潮の香りが漂うベランダを抜ける夕刻の風は
そんな季節の感傷も同時に運んできてくれていた。

       
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