その五十七







 







 








 

いつまでも 棲みつづけてる 錆びた押しピン

大きな4枚の窓がそこにはあって。
窓の外は国道1号線が走っている。

クリームイエローのやさしいカーテンが
とりのぞかれると、広がる世界。

彼女は朝の6時からそこからの風景をみている。
まっすぐ伸びる高速をみていると
ここが日本じゃなくて、テレビでみかけたことのある
ロサンゼルスかどこかの
景色のように感じるという。

休日になるとクルマのテールランプが途切れない。
朝焼けから昼間の日差しを経て暮れてゆく空の色を
こんなにゆっくりと見たことはなかったと
おだやかに云った。

彼女は今、長い休暇をからだにとってあげている最中だ。
メンテナンスされることにも慣れて
今はベッドの窓からみえる景色を楽しんでいる。

わたしも共に見るそこからの風景がとても好きだ。
30年近く暮らし慣れていた街の顔ととてもよく似ている。
人はやっぱり馴染み深いものに惹かれるものだと
あらためて思った。

毎晩彼女におやすみをいってそこを立ち去ると
わたしはバスに乗る。
バスに揺られながらちいさく切り取られた窓から
流れてゆく夜の風景を眺める。
でもわたしは、もういちどちいさくおどろく。
さっきまで、彼女と見ていた場所を、走っているというのに
今まで棲んでいたどの街とも似ていないことに
気づかされる。

遠景で見る風景は不思議な力を持っていて
あなたの知っている場所に似ているから安心してと
声をかけられている感じがする。

ちいさい窓と大きな窓。
このまま日々を重ねてゆくと
そんなちっぽけな思いのずれはやがてひとつになって
いつかここも懐かしい場所へと記憶されて
ゆくのかもしれない。

人も街も。
それぞれのこころのかたちに沿って
自分だけの地図に刻まれてゆく。
坂の途中にあるバス停で、ふとそんなことを思っていた。

       
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