その六十






 







 

























 

夕闇が 指に触れてる 如月の浜  

わたしは、いつか見た映画の中の景色でも人でも、
そのことを思いだそうとすると
そこから忽ち色が消えてしまう。

きっと観ている時はその色に夢中になって
瞬間、陶然としているに違い無いのに。
誰かにこんな色をしてたんだよ、と伝える時に
ぱたっとモノクロームになる。

たとえばそれが映画なら主人公の
いつも乗っていたクルマのボディの色や
下手をすると木立のみどりまで消えているのに
筋となんら関係ない
言葉尻ばかりが耳のあたりをうろうろして
困ってしまう。
煙草を吸いながら、ハンドルを捌いている時
スクリーンを跡にするその刹那に
ちらっとみせた(ような気がする)
性悪そうに微笑んだときの目尻とか
とにかくそういうことだけが
浮かんだまま消えないのだ。

だからわたしの中の記憶はいつも
白黒の映画ばかりをみてきたような
そんな感じさえしてしまう。

知人にはわたしとまったく逆で色ばかり
憶えている人がいる。
彼女はそこに書いてあったことばは
どれもこれもきれいさっぱり忘れてしまっているのに
本の表紙のロゴの色やパッケージに
縁取られたラインの色まで
鮮明に憶えている。
もうとにかく信じられないほど
そういうことに関して長けているのだ。

わたしにとって誰かの言葉尻やささいな微笑みは
大事すぎるぐらい大事だけれど。
ほんとうは色にも憧れがある。

同じものや人を思いだす時、笑ってしまうほど
ふたりは噛み合わない。
でも彼女の会話の中に登場するいくつもの色は、
とても眩しくて、耳をいつも傾けたくなる。
お互い備わっているものが違うから、話していると
ちょっとだけ愉快でやがて興味深くなるのだ。
気がつくと相手の観ている世界をわたしも
アングルを変えて観てみようとしていたりする。

いつか父にもらった色彩辞典に記された
海や空の色を見ていたら、
わたしはふっと 確かめにゆきたくなった。

気持がいいこともうっかり忘れてしまうほど
心地居い風と陽射しに恵まれていた
ある日の週末、海岸沿いを散歩した。

小さい頃を思いだして波が運んできていた
貝殻を拾ったり。
海水に手を浸してすこし温んだ温度を
指先に感じたり。

童心だった時を思いだしてというよりは
もしかしたら、現在のはじめてのよろこびのように
感じていたのかもしれない。
時間が忽ち過ぎて、ふと海の水面に視線を移すと、
そこにはとてもすれすれの色合いの夕焼けが
にじんでいた。

おそるおそるわたしはその日見たシーンを
振り返ってみる。
今、こうしている時間にもわたしはあの時の
夕陽のグラデーションの色を
あたまの中でくっきりと思いだしてちょっとだけ
安堵する。

降り積もった色のない記憶の引き出しの中に
ひときわ鮮やかで健全な色が
混ざりあうようにして、そこにあることに。

       
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