その六三





 





 

















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

底しれぬ はるかかたなの 花瓶のなかへ

まっすぐまっすぐ地下道を歩くと
噴水の広場に出ますから。

噴水を左に見てもっともっと
まっすぐに歩いてゆくと
こちらのビルがあります。

わたしは電話案内でそう伝えられたとおりに
噴水をめざした。

昔住んでいた街には地下道に噴水があった。

ささやかなそこは待ち合わせする人たちで
たむろしていた。

そう、多分、泉の広場と名付けられていて。
地下の行き止まりだったと思う。

円形に掘られた場所から
噴水が絶えまなくしゅわしゅわっと湧き出ていた。

昨日おとずれた所は
高層ビル群が林立している
よくテレビで見かける場所だった。

ほんとうに林の中に入り込んでしまうと
もうそこが林であることに
気づかなくなってしまうのか
ビルとビルの狭間を縫うように歩いていることさえ
忘れてしまうそんなオフィス街。

わたしの耳にふとむかし馴染んだすずしい音が
聞こえてきた。
水のざわめきは、立ち止まる瞬間を
あたえないぐらい間断なくて、
それはなにかが景気よく
生まれているようなそんなここちよい
錯覚を味わせてくれる、いい音だった。

水の音を背にしてまっすぐ歩いたあとは、
おそろしいぐらいのスピードで
垂直に駈け登った。

エレベーターが連れていってくれた43階。
映画の文法の話や物語の定義や田山花袋の話などに
耳を傾けていた。

ここは、はてしない43階なのだと思う間もなく
わたしは先生のことばを追っていた。

そして最後に第一次大戦でなくなった
ウィルフレッド・オウエンという詩人の
「不思議な出会い」という詩の朗読を聴いた。

しずかでやわらかな先生の声が教室に響いてゆく。

彼じしんのその後の人生を予言したような詩を
聴いて、わたしは脱力したくなる時に似た感覚を
憶えていたのに、
でもそれをどんなことばにたとえればいいのか
わからなかった。

ひとひとりの世界のいちばんおしまいにまで
出会いというものが用意されているという現実。
そう感じるのは危険だと知りつつ
わたしの頭の中には甘美ということばが棲みついたまま
どうしても離れてくれない。
甘美なものということばのまわりに漂っているものと
その詩を照らし合わせることがふさわしいのか
どうなのかさえわからないまま、それでもそれを抱えたまま
わたしはまたふたたびその部屋を
おそろしい速さで幾人かの人たちと共に下降した。

そして行きとおなじ
まっすぐの地下街をひたすらに歩いて、
さっきよりはその地下道を短く感じている
不思議さを思っていた。

たくさんの人々とすれ違った時、
サラリーマンのおじさんのアルコールのしみついた
匂いがふっと漂ってきて、
わたしは鼻先から気持が弛んでゆく。

そしてほんのすこしだけ
その詩のたぎっていた輪郭だけが
どこか雑踏にまぎれて朧になってゆくのを感じていた。

       
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