その七一












 







 



















 

ほんとうも にせものもゆめ わらってにげて

雨の七夕の夜。
渋谷にある劇場のAの25という席で
ひさしぶりに芝居を見た。

舞台は沖縄にあるリゾートホテルのバー。
カウンターのむこうには、酒瓶が整然と
ならび、バーテンダーを演じている中年の役者が
世にも奇麗なカクテルを
澱みなく作っていく。

かつて師弟関係にあって恋愛関係でもあった
年の離れた男女がストーリーの軸となるのだが、
いわば聞き役であるバーテンダーの
佇み方がよかった。
飛行機にひとっとび乗ってしまえば
彼のいるバーを探しにゆきたくなるぐらい、
空間と人の立つ境目がみえなくなる感じの
馴染みかたにわたしは酔っていた。

生身の人間が目の前に居て語ることばは
たちまちわたしの中に棲みついてゆく。

からだの隅々まで浸透してゆくような
バーテンダーの声は、限られた時間の
中で発生し、そして、瞬間に消えてゆく。

なのにわたしたち観客の中には
架空の時間が和紙に墨が吸い込まれてゆくように
余韻を残してゆく。

虚構だと知っているのにその物語を
じぶんの一部だとうっかり信じてしまいたくなる
瞬間を持っている、舞台と云う場所は
とっても危険だなぁと、そんなことを思いながら
いくつもの台詞やシーンをフラッシュバックさせながら
夜中のタクシーを待っていた。

映画や芝居を立て続けに見ていると
ときおり虚構と虚構のあいだに
ほんの微量の日常がはさまれているような
妙な感覚に陥る。

相当に毒だなぁと思うのに
その毒をもっともっと飲み続けたいと思ったりする。

そんなことは不可能に決まっているのに
もうどの時間もぜんぶ虚構に塗り込めてしまいたい
誘惑にかられるのだ。

わたしのいまいちばん好きな役者が演じていた
バーテンダーの作るカクテルも
グラスの縁に添えられたライムもほんものだ。
朝のコーヒーをたてるシーンでは観客席にまで
そのコーヒー豆の香ばしい匂いが漂っていた。

演じることとなまもののバランス。

ほんものとにせものの配分が
すこぶるずるいのだ。

彼がバーの客である彼女につくるカクテル、
ブルー・ジン・リッキーは舞台の上で
ほの青く光っていてとても幻想的だった。

あのお酒が飲みたいと思った。

ふだんカクテルが飲みたいなんて
そんなこじゃれた思いはほとんど過らないのに
舞台のお酒を見ていたら、むしょうに欲しくなって
仕方がなかった。

げんじつにはどんなにすてきな照明の下の
バーカウンターでもカクテルは
そんなにきらきらしてないことは重々
わかっているのに
あれが飲みたいと思った。

いそいそと舞台という甘い罠にひかかっている
じぶんを呆れながらもわたしは
ほんとうの時間のすぐそばに空いている穴に
うっかり入り込んでしまったようなそんな
もうひとつの時間を存分に楽しんでいた。

       
TOP